佐賀バイブルチャーチの入江喜久雄牧師のブログ

佐賀市鍋島へ引っ越しブログを再び始めました。よろしくお願いします。

希望・死に対する勝利1.

 

背振山近くの道の駅から見た広い佐賀平野

イエス・キリストはアフリカの希望です。」と語ったのはアフリカ56か国中、最貧国で国民の14%がHIVに感染し、死者が多いモザンビーク出身の青年でした。しかもこの国のクリスチャン人口は48%というのです。私はこの方と2007年に福岡で会いました。

毎日、死に直面している国の人々がなぜ、イエスキリストへの希望を持っているのでしょうか。それは死に打ち勝ち肉体をもって復活したキリストを信じる者がキリストにある復活のいのちを今生きることが出来るからです。

たとえ死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたがともにおられますから あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。詩篇23篇4節。

1.死は自然ではない

人は元気な時「死は怖くはない」また「死んだら無」「死は自然だ」と言います。しかし、自分が病気になったり、怪我をしたりすると「ひょっとすると死んでしまうかも」と心に苦痛を覚えるのではないでしょうか。ガン告知を受けたある患者が「なぜ私だけがこんな苦しい目にあうのか」と言い、気が狂わんばかりになられました。だから「死の苦痛は自然なのではなく異常であることのしるしなのです。」それが「死の陰の谷を歩むとしても」に凝縮されています。この「歩むとしても」は動作が完了していない状態です。言い換えれば今も死の陰の谷を歩き続けているのです。これが人間の現実なのです。それは創造神、命を与えた神を否定し自分中心に生きる人間から来ています。これを聖書は罪と言い「罪の報酬は死です」と語ります。

2.キリストにある復活の命

また同時に「しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」と死の解決を聖書は語るのです。キリストにある「永遠のいのち」とは「霊魂不滅、地上の命の延長のようなものではなく、まったく新しい命なのです。」それは主イエスキリストを信じる信仰によってよみがえらされ、与えられるいのちを言うのです。この復活のキリストを冒頭の詩人は「あなた」と呼び「私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから」と喜びの声をあげます。 たとえ「死の陰の谷を歩み」続けているとしても、自分一人ではなく復活したキリストが、自分と一体となって「ともにおられる」ので「私はわざわいを恐れません」と語っています。この「恐れません」も動作が完了していないのです。つまりキリストがおられるので「恐れない」が続いているのです。

3.希望ある人生

人はたとえ死の痛みを覚えたとしてもキリストへの信仰があれば、神様は一緒におられるので恐れないで生きていけるのです。「キリストは自ら 十字架の上で 私たちの罪をその身に負われました」そして3日後に死者の中から新しい肉体の復活を遂げ生きておられる唯一の方です。このキリストは、罪を悔い改めてキリストを信じる者と共に生き、死ぬ時、死後も共に生きてくださるのです。

私が福岡で牧師をしていた時、69歳で洗礼を受け77歳で天に召された税理士の方がおられました。彼は「キリストが私の罪のために、十字架にかかられたこと、それが事実であり、そのために現に私が生かされており、これからも永久にいかされるであろう、そして天の御国で「義の栄冠(天での報い)」を受けるという以外に価値のあることは何もない」と言いました。あなたもキリストを求める人となりましょう。