エホバの証人を救出するために。
講演 テーマ「家族愛の再構築」
・・・聖書教理の相違・・・
2011年6月10日(土)10:30から
場所:福岡市民会館

2022年4月より現在まで佐賀バイブルチャーチ 牧師 入江喜久雄
1.私のエホバの証人との出会い・・志木市、銚子市、福岡市の研究生、証人、そのご家族、救出カウンセラー。2.聖書とエホバの証人との違い、救出後のフォローアップの重要性。3.家族の土台。本当の愛と助け。コミュニケーションの重要性、妻の役割、夫の役割、子どもの本当の躾。これらを現実と聖書から論じ、共に考える時と願っています。
- 私のエホバの証人との出会い・・志木市、銚子市、福岡市の研究生、証人、そのご家族、救出カウンセラー。1984年神学校卒業と同時に埼玉県の志木市にある志木新座めぐみ教会に牧師として派遣され、独身2年後に結婚しました。志木ニュウタウンと呼ばれる3000世帯のマンション団地、その近くにある約1000世帯の新座団地が伝道エリアでした。生まれた長男をおぶって、妻と共に、ほぼ、毎日、午後、訪問伝道をしました。途中、個別訪問されていたエホバの証人とよく会いました。その中で2人の男の子を育ておられるS研究生に会いました。この方は4階に住んでおられ、真上の5階に司会者のご婦人がおられました。お二人と団地の階段、またS研究生と彼女の自宅で妻と私、1歳の長男4人で聖書研究を行いました。次第にS研究生は教会の礼拝に来られるようになり、洗礼準備クラスを受講、終了されました。その時、彼女は「学びはこれだけでいいのですか。」と拍子抜けしたようでした。洗礼を受けられ、今は八王子のキリスト教会でキリストの証人として喜びに満ちておられます。司会者は私に「聖書にある愚か者とはどんな意味ですか。」と質問をされる、「神はいないと心で言っている人です。」と答えましたが、その後、接点を持つことはなくなりました。長老の方と公園のベンチで何度も、話し合いましたが、会話が平行線で終わり、次第に会えなくなりました。
銚子市に転任したのが、1991年でした。銚子キリスト教会は付属保育園を経営しており、私は牧師と園長の職を受けることになりました。ある時、H研究生と出会い、その方が多く、ご質問をされて来ました。ある時「先生、会ってほしい人がいるのですが」と言われましたので、早速、その方のご自宅に行きますと、牧師が来たと知ったのでしょうか、家の奥に隠れてしまいました。私を悪魔か何かと思ったのでしょう。
申命記18章:22から「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。」偽預言の数々を伝えました。お二人でキリスト教会にお子様づれで来られるようになり、私が福岡宣教に遣わされた後、洗礼を受けられ、東京キリスト教大学神学部を卒業され、信徒伝道者をされています。
福岡開拓伝道が阪神淡路大震災、オウム真理教の1995年始まりました。家族5人借家に住み、日曜日はリビングを礼拝場として、信徒ゼロからのスタート、幸い、クリスチャン大学生、主婦の方が来られましたが、5年後の新会堂献堂まで、10名の礼拝が続きました。訪問伝道、地下鉄駅前でのチラシを配布しながらの伝道、大学生伝道、思いつけば、なんでもしました。その間、奥様がエホバの証人としておられる夫、女性の研究生2人、救出カウンセラーの3人の先生、この方々は日本全国、救出のためにはげんでおられ、その熱心さ、献身さにあたまが下がり、救出セミナーに私は大阪まで行った思い出があります。多くの方々が間違いに気づかれ、ある姉妹はキリスト教会で長老をされています。感謝なことです。ただ、せっかく救出されても、もとの生活、つまり、どの宗教にも入らない方、行方が分からなくなった方もおられました。不活発な方とも大勢会いました。福岡では救出された方々のアフターケア、つまりフォローアップに携わりました。次男をおぶって妻は私についてくれました。約1年かかりましたが、日々、明るくなっていく姉妹がたを見、教会につながっているという話を聞くたびに喜びが沸いてきます。
2.聖書とエホバの証人(以下JW)の教理の違いを根本的な所だけ紹介いたします。
①聖書が違う
プロテスタント教会で使用されている聖書の一つである。「新改訳聖書」は旧約聖書ヘブル語アラム語、新約聖書コイネーギリシャ語からの翻訳である。あとがきには次のような説明があります。「聖書は永遠の神のことばであって、あらゆる時代に対して、常に新しい力をもって語り、救いのための知恵を人々に与えることのできるものである。新改訳聖書は、今の時代の人々のために、この神のことばである聖書を、正確に、わかりやすく翻訳しようと企画された。翻訳編集に携わった者の一致した願いは、原語にあくまでも忠実であり、最も読みやすく、しかも聖書としての品位を失わない訳文を得ることであった。新約はネストレの校訂本24版、旧約はキッテルの三版以降の者に基づき、訳業を進めたが、問題の箇所については、正しい本文に近づくことに努め、欄外注に、その根拠を明らかにするようにした。」
日本語版の「新世界訳」は本来の原典であるヘブル語、アラム語、ギリシャ語ではなく、英文新世界訳の翻訳であるということです。「原語本文との慎重な照合が行われました。」(新世界訳の前書き)は照合であって翻訳ではないと言うことです。
「この日本語への翻訳は、新世界訳聖書翻訳委員会によるものではありませんが、同委員会の作業を反映し、それに基づいたものです。」6頁。ウッド師は「新世界訳の日本語版は、原文から直接翻訳された普通の聖書と違って、翻訳からの翻訳、つまり、「重訳」ということになります。」と述べています。千代崎秀雄師は「エホバの証人は」キリスト教か」の中で「つまり英文「新世界訳」が原典で、それを各国語に訳す際にはその「原典」つまり英文「新世界訳」から逸脱しないように指導され、同一の主張(エホバの証人の教理)を表現するべき各国際版が作られたということだ。もし、それぞれの国の翻訳者が直接に聖書原語から翻訳したら、英文「新世界訳」とは違ったものが生まれ、それによってエホバの証人の教理に疑問を抱くような結果になる恐れがある。標準はあくまで英文「新世界訳」でなければならないというわけだ。」114頁」P212
ではその英文「新世界訳」は優れた原語学者が翻訳したものだろうか。翻訳委員会5人の内、大学まで進学した人は一人もいません。フレデリック、フランツの場合は大学2年の時やめています。聖書翻訳者エドガー・J・グッドスピ-ド師は「「新世界訳」の文法は悲しむべきものだ。と語っています。」p225
②神論が違う
「初めに、神が天と地を創造した。」創世記1:1
「トマスは答えてイエスに言った。『私の主、私の神。』ヨハネ20:28
キリストは神である。
「そこで、ペテロがこう言った。『アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。おsれはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜ、このようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』使徒5:3-4 聖霊は神である。
「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」マタイ28:19
父なる神、子なる神、聖霊なる神は三位一体である。
JW・・父だけを神とします。
③人間論が違う
聖書「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」ローマ3:23「義人はいない。ひとりもいない。・・彼らはその舌で欺く、彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であるとは言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。・・彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意に満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きとわるだくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わかまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。」ローマ1:21-25、28-32。
「あなたがは自分の罪過と罪の中に死んでいた者」エペソ2:1
JW
「自分が弱く不完全な者であるために、罪を犯してしまうことがある。努力が足りないために誘惑に負けてしまう」努力次第で改善できると考えている。
④贖罪論(救済論)
「しかし、彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎(とが)のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって私たちはいやされた。」イザヤ53:5
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。」Ⅱコリント5:17
「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」ヘブル9:14
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で、神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるからです。聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』ユダヤ人とギリシャ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです。ローマ10:9-13
聖書の救いはキリストを信じる信仰のみによっての全人格の救いを語っている。
それはすべての人に提供されている。救いは罪およびそのいっさいの結果からの救出であり、キリストを信じるすべての人に与えられるものです。「罪のゆるし」「永遠の命」「神の子とされること」は将来ではなく、信じるとき与えられます。教会、つまり信仰告白共同体においてキリストによる救いがなされます。
JW・・アダムと同等の価値の存在であるイエスキリストガ、アダムの子孫をアダムから受け継いだ罪と死から終末時に救い出す道を開くために支払った血の代価です。
キリストの犠牲の恩恵を受けるのは、エホバ神への愛に基づく順応を立証した人々です。キリストは神の創造による最初のもの(被造物)で神の代弁者です。神より下の地位にあります。救いは現在の邪悪な事物の体制からの救出であり、未来において罪と死への束縛から解放されることです。
かれらの救い・・「組織の教えに忠実な者のみに与えられる報いのことで、ハルマゲドン後の地上の楽園において、戦争や犯罪や病気や貧困から解放されることを意味しています。しかし、それはあくまでも未来の経験であって、結局のところ彼らには、自分が今、罪から救われなければならない人間であるという意識が全くないのです。」(『エホバの証人への伝道とフォローアップ』ウィリアム・ウッド)
家族、親戚が多大な時間と金額を用いて、救出カウンセラーによる説得というリードアップによる救出がされても、アフタ-ケアがされていないと、生涯、病をかかえた人となります。自力脱会も同じです。その後、フォローアップ、特にリハビリテーション「本来あるべき状態への回復」が必要です。本人が間違った団体から離れることは大切です。「しかし、それは解決のための第一歩なのです。間違いに気付いた時、本人は絶望と混乱の中にあります。価値観を喪失した状態にあります。もっともその価値観というのは、間違った教えの中で作り上げられたものなのですが・・そこから正しい価値観、将来に対する希望を取り戻すことが必要です。本人が間違いに気づいた時の心境についてしばしば、『死んでしまいたい』『気が狂ってしまいたい』『無人島で一人ぼっちで生きていきたい』ということが言われます。」また「様々な後遺症に悩まされます。フラッシュバックもその一つです。次のような悩みを抱える人もいます。
- 自分で物事が決められない。(2)自分のためにお金を使うことへの罪責感
- やはりかつて入っていた団体や教えが正しかったのではないかと思ってしまう。」のです。
2世の例。恵美
- 生まれた時から中学1年生までJWの2世だった恵美は組織を離れて6年以上経つのに「いまだに自分でも理由の分からないことでイラついたり、ムカついたりすることがしばしばあるという」p94母親がJwに19歳の時、洗礼、大学卒業、正規開拓者、結婚後恵美を出産、生後10ヶ月から集会で泣いたり、騒いだりすると、王国会館の懲らしめの部屋でお尻を竹のものさしで叩くようにする。母親は46歳の頃、JWをやめ、「恵美には泣いてあやまりました」という。しかし、それで、問題が解決するはずがない。母親と一緒の伝道、学校ではいつもひとりぼっち、いじめ、急激な視力の低下、脳に腫瘍、しかし、中学2年時に母親がやめたのをきっかけにやめる。そのご、病院にいくと、視力が回復し、腫瘍がなくなっていた。
- 元2世に残るトラウマ アリサ22才
生まれてから中学まで、JWの母親と週3回の集会と伝道訪問に明け暮れる。中3で離れる。教団の「今が楽しくなければいいと思う人は滅ぼされる」の言葉で破滅を知りつつ、離れる。サタンの影響を受けたとして、母親が急に冷たくなる。
高校2年になり、SMAPにはまり、バイトをしながら追っかけ、その後、短大、
専門学校。スナックでバイトしながら、今はスナックのママにはまっている。
家族4人がそろっても会話がない。テレビを黙って見ている崩壊した家族である。アリサはエホバ、SMAP,ママと依存症が続く。JWの囲いの中から飛び出したけれど、その代わりにSMAP,ママと入れ替わっただけ。「元2世たちは『理解されにくいが、表面的には社会の中にはいるけど、実感としては一般の社会とは別のJW社会の中で暮らしているんですよ。』
では、彼らにとって自立とは。自分でものを考え、実行する人になれるのか。
真の自立は「この方(イエスキリスト)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人には与えられていないからです。」聖書:使徒4:12
両親、4人の祖父、祖母すべてJW、親戚15人がJW、うち3人が長老。
親から愛された記憶がない。いつも条件付き、集会参加、伝道訪問を続ければ、愛される。かわいがられる。しかし、中学から不活発になり、親が口をきかなくなる。高校卒業と同時に家を出される。自力で予備校、早稲田合格、その後、そう、鬱の繰り返し、中退、職を転々としつつ、母親の愛を求めて女漁り、同棲した女性が驚いた。クリスマス、誕生日は祝わない。出産の時、輸血が必要になった場合、「輸血をしない。」という。教団を離れて20年たってもJWから解放されていない。現在治療中、そのセラピストは「抑圧された感情、葛藤がすさまじい」と言う。条件付きの愛が本人を抑圧したのである。親は子どもがJWの生活をしていれば、愛する。そのためには教義、組織に疑問が沸いても無意識の内に抑制する。そうすると、いつまでもアンバランスな自分になり、自身が持てない人となる。そのアキラはその後、元2世純子と結婚。しかし、子育てで、二人とも、普通の家庭を知らないため、困難を覚えている。かれらの解放は何だろうか。きちんとしたアフターケアによって無条件の愛をあびるほど体験するしかない。それはキリストの愛である。
「キリストは私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」1ヨハネ3:16a
「正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」ローマ5:8
1965年小2の時、「男性の細身のベルトを使って、椅子などに跪かせて、20回くらい子どものお尻を叩いてください。」が会衆内で発表され、その後、30年もの長きに渡って懲らしめが続いた。「親から無条件で自分を肯定されたことがない2世たちは、自分で自分に自信が持てない。自分の存在が肯定できなければ、他者を認めることもできない。その結果、人との付き合いがうまくいかなくなる。
社会に出てから、職を転々とした。喫茶店、ホストクラブ、キャバレー(数箇所)
シロアリ駆除、自衛隊、トラックの運転手、自動車板金工、船の機関士。それは「人とうまく付き合うことが出来なかった」からである。自信がないから人から肯定されたい、認められたいと言う気持ちは人一倍強い。そのために人とうまく付き合えないのに人に依存しやすくなる。人から認めてもらうと、すぐに人を信じてしまう。」専門家は言う「親から虐待される子は誰かに依存したいから依存症に陥りやすいのです。アルコールに溺れたり、ドラッグ依存になる子どもは少なくありません。」
結婚後、女の子誕生、今、8歳、叩いて育てていく。自分が育ったように子どもを育てていく。育て方が分からないのである。叩く時は「子どもらしく振舞った時」である。自分の子ども時代を再現しているのである。
親も2世もJWをやめても人格が変わらないから、子どもの接し方が分からない。
ここに、フォローアップの重要性がある。キリストのフォローアップは人間回復、本当の人間になる道なのです。これこそが家族愛の再構築の核である。
エホバの証人と救出を通して、なぜ、本人がこの宗教団体にはいったのか。入った動機は何だったのか。この問題が解決されない限り、救出されても、また入信前の本人に戻り、何も解決されないまま、悶々とした日々が息を引き取るまで続くのです。この機会を通して、本当の夫婦関係、親子関係、本当の価値観を見直すべきなのです。そのためにもリハビリテーションは大切なのです。
3.家族の土台・・無条件の愛
条件付きの愛が多くあります。夫が会社で働き、収入があるから、健康だから夫を愛せる。ところが、仕事もなく、家でごろごろする日々が長く続くと、どうなるのか。妻が優しく、料理、子育てを良くおこなっている時は愛せる。ところが、妻が忙しく、家を空け、夜の時間も持てないなら、どうなるのでしょうか。子どもが日頃、勉強し、成績が良い時は愛せるでしょう。不登校になり、一日中、部屋にこもっていたら、また、学校に行かず、外出を繰り返す娘となった時、どうなるのでしょうか。エリートコースを歩んでいた長女が大学卒業時、うつになり、12年間心療内科に家から通うようになった。片親はその娘の存在を受け入れられない。現代に一つの病が蔓延している。
それは条件付きの愛。その条件が崩れ去ると、途端に家族、親子、夫婦間で心のバトルが始まる。何の解決もないまま、時間だけが過ぎていく。ゆるしがない。無条件の愛がない。
生きづらい。
しかし、ここに無条件の愛がある。「正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」ローマ5:8
キリストの愛こそが無条件の愛です。キリストは2000年前、多くの人々に愛を示され、病をいやし、民衆の空腹を満たし、死人ラザロをよみがえらせ、姦淫の現場で捕らえられた女も罪をゆるされました。にもかかわらず、12弟子から裏切られ、民衆からは「十字架につけろ」「十字架につけろ」と叫ばれ、これが、ローマ総督ピラトによる十字架刑の決断を導きました。このような事態にも関わらず、キリストは十字架上でだれ一人、責めることなく、「父よ。彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」ルカ23:34
キリストは十字架での肉体、霊的最大の苦しみの中で自分をのろう人のために、その罪のゆるしを叫ばれたのでした。血を流され、ご自身の肉体をいけにえとして父なる神に捧げ、死に三日後、復活され、救いを成し遂げられたのでした。このキリストにより、だれでも、罪を悔い改め、主を信仰するなら、永遠の命が与えられるのです。つまり、生ける神の臨在、交わりが与えられるのです。現に、キリストのこの叫びを聞いた隣の十字架にかけられていた犯罪人は信じ救われたのでした。
罪人であるにもかかわらず命を捨てられた愛こそ、この世界に示された無条件の愛なのです。・・信じましょう。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒16:31
「本来あるべき状態の回復」とはなにか。それは無条件の愛の中での人生である。
それは聖書のみに記されている。その聖書を改ざんして、この無条件の愛を示さないのがJWなのです。
このキリストの愛こそが、家族,人生の土台なのです。家族の事でつらい時、キリストの示された十字架の愛と苦しみを思うとき、目の前の出来事を受け入れられる、条件付けずに、相手を愛せるのです。
東京女子大学の学長を昨年3月まで2期8年まで勤めた湊 晶子先生は次のように述べました。「人と人の間だけの教育では、自己卑下かうぬぼれかどちらかとなり、必ず、ブレます。ぶれない個を位置づけるためには縦軸が必要です。縦軸こそ絶対者神との縦関係です。座標軸が明確な時、人はぶれない点を打つことが出来るのです。リベラル・アーツ教育(人間教育ではなく人格教育)とはキリスト教の基盤なくしてあり得ない教育の原点です。」昨年、東京基督教大学20周年の講演で述べられました。この縦軸(絶対者なる神と人との関係を全人類に切り開かれたのがキリストの十字架と復活なのです。)
- この恵みを体験された元JWの山田幸子(仮名)姉妹は
このキリストの十字架を説得の現場で聞きました。
あかしの中で次のように述べています。29歳の時JWのバプテスマを受け、家族みんなが生きて「ハルマゲドン」を通過し、地上の楽園に入るためには、私ががんばらなければと無我夢中でした。説得の中で「いつも柔和に接して下さる牧師夫人との語らいの中で、少しずつ、私の心が柔らかくなっていったのでしょう。ある時、永遠の命について話している時「それはグリコのおまけのようなものです。」と仰いました。私ががんばって、がんばって手に入れようとしているものがおまけだというその真意がわかりませんでしたが、神様が与えて下さる祝福は不確定な未来にではなくて、イエス様を信頼して生きる毎日の中で与えられる喜び、平安こそがグリコ、本当の祝福であると言うこと、そして牧師夫人はもうその祝福に与っているからその先にあるものはおまけだと言い切ることが出来るのだと考えた私は私もそのグリコがほしいと思うようになりました。イエスキリストが自分の救い主であると信じ告白する事によって、すべての人に与えられる恵み、今与えられる恵み、新しく拓かれていく聖書の真理に私の心の目も開かれていきました。私が最後までひっかかったのは、イエスキリストが神であるかと言うことでした。「もし、イエスが神であるなら、神ご自身が十字架にかかって死んだ事になる。たかだか人間のために神様が死なれるなんて、釣り合いがとれないのではないか。」と私が言うと「幸子さん、人間の罪、私の罪、あなたの罪がそれだけ深くて重いということなのですよ」と答えられました。
私の罪、今まで自分の体裁を守るためについてきた多くの嘘や、神に喜ばれない多くの行いや思い。今だって私だけが真理を知っていると思いあがり、家族に大きな心配と迷惑をかけている。これら全部のために、イエス・キリストが私に代わって死んで下さったという事、そして、今もこれからも私を救い続けて下さるためによみがえられた事を事実として認め、受入れました。」その後、信仰告白、洗礼の恵みにあずかりました。それから11年間、家族を棄ててでも求めたかった「真理」を家族の愛を通して与えて下さった神様の奇しき恵みを今しみじみと思いながら、神様から託されたこの真理「イエスキリストの十字架と復活」の証人として人生の終りまで走り抜けたいと願っています。ハレルヤ。このような証しは元JWだけではありません。
②夫婦とは
聖書は人間に 家族、人生の土台はキリストである。縦軸が神キリスト(教会)である。
では横軸(人と人との関係)で最も重要な関係、第一の関係は夫婦なのです。なぜなら、夫婦だけは一つだからです。「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」創世記2:24 「一体とは一つの肉となった。」の意味があり、家族親戚で唯一血がつながっていないにもかかわらず、なぜ、聖書は第一の人間関係と述べているのでしょうか。それは神ご自身が結び合わせた関係だからです。さらに人格において一つの関係だからです。その関係でまず、初めに、妻からその役割を聖書は述べています。
③妻の役割・・「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」
エペソ5:22
ここで注目しなければならないのは「主に従うように」と言う家庭の土台が記されています。主とは命を十字架で捨て死に勝利されたキリストです。キリストとの関係がまず、第一にあることが大切です。このキリストに自発的に従うように夫に従いなさい。ここもキリストと教会との関係で述べています。聖書はキリストが花婿で、教会は花嫁とたとえています。教会のかしらがキリストであるように、妻はかしらである夫に従いなさい。」と勧めています。従うとは「耳をそばだたせて聞く」という意味。これは秩序の問題です。この時、本来あるべき姿となる。列車がレールとダイヤに従って走る時、スムーズに目的地に到着するように、妻は幸福を得る。夫がまだ、キリスト信仰を持たれていない場合はどうでしょうか。自分の夫とわざわざ記しているのは他人の夫に目移りするからです。他の人の夫に従わないように。
1ペテロ3:1-4「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。
あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものではなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人柄を飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」つまり、言葉の伝道よりも生活によるあかしなのです。清い「自分の夫をうやまう」おそれかしこむ「純真な」と言う意味。思いやりがある妻に夫は引かれて行く。食事、衣服、性生活も大切ですが、その前に言葉、態度はいかがですか。従っていますか。
家庭のかしらは夫、家長として家族全員のことを総括した上で最終的決断を下す。
④夫の役割・・「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身ささげられたようにあなたがたも自分の妻を愛しなさい。」エペソ5:25・・愛の性質
JE・アダムス師(米国ウエストミンスター神学校教授)「愛のリーダーシップ」と言っています。ここもキリストが土台となっています。キリストを知ってください。崇高な、自己犠牲、受けるよりご自身を与え尽くしたキリストの愛が中心です。キリストが血をながされたのはわき腹からであった。あばら骨からとられた女性のために命を捨てられたのです。ここも夫たちよ。と述べて複数ですが、一人の自分の妻を愛しなさいと強調しているのは、妻に愛を集中しなさいといことです。愛はすべてのそむきの罪を負おう。
夫は1.自己犠牲、与える愛を示す。2.行くべき道を示す。なぜなら、一体だからです。
妻は愛されたいのです。①はなしを聞く。妻は話を聞いてほしいと願っている。上の空で聞かないで、それから、どうした、大丈夫かという同情心を持って、②やさしい語りかけ、
愛のことば、③共に過ごす。「夫たちよ。妻を愛しなさい。つらくあたってはいけません。」コロサイ3:18.洗濯ものを干したり、一緒に食後の片付けを行ったり。一番の愛は共に、教会の礼拝に出席し、賛美歌を歌い、聖書の言葉に耳を傾け安息を得ることです。妻の隣に座ってくださいね。
神が与える安息に与ってこそ、妻を愛し、子どもを育てることが出来る。そこに仕事への力が与えられる。
1ペテロ3:7「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分より弱い器だということをわきまえて妻と共に生活し、いのちの恵みを受け継ぐものとして尊敬しなさい。それはあなたがたの祈りが妨げられないためです。」
ちなみになぜ、二人は結婚したのか。そもそも結婚の目的はなにでしょうか。「あなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです。」1コリント7:35
ここに二人の安定があります。この夫婦あってこそ、子育て、仕事に力が入り、実を結ぶのです。
現在、お一人の方はどのようにすればよいのでしょうか。キリストに依存していく時、平安が与えられます。
今、
コミニュケションの重要性・・
⑤子どもの本当のしつけ・・
「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって主の教育と訓戒によって育てなさい。」
エペソ6:1-4
子どもの親に対する従順こそ、幸せ、祝福を得るかぎです。
子どもに向けて両親に従いなさい。ここも「主にあって」が重要になる。子ども自身が主を知る必要がある。「主イエスとの交わりの中で」「主イエスとの関係の中で」キリストに愛されている者としてです。ここでいう父、母は生ける神、キリストを知っている人を指しています。神は父、母を子どもの養育のために神の代理人として立てられました。その意味で父母を敬いなさいと述べています。
父たちよ。(親)の使命は何でしょうか。父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって主の教育と訓戒によって育てなさい。」子どもはなぜ、怒るのでしょうか。道が示されていないからです。迷いの中にあります。父親は主から与えられた権威をもって、時には厳しさ、で子どもを訓練、教育すべきです。母親まかせにしないで、教えましょう。そのために教会に行きましょう。父親の権威によって家庭に秩序が生まれ、社会が整っていきます。
- 教育の主体は学校でなく、親なのです。その親はなにを子どもに教えるのでしょうか。
聖書です。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、あなたの神を愛しなさい。これをあなたの子ども達に、よく教え込みなさい。あなたがたが家に座っている時も、道を歩く時も、寝る時も起きる時も、これを唱えなさい。」申命記6:5-7
主の教育(正しい方向づけ)と訓戒(知性)、あくまでも主が源です。なぜなら、間違った教えに振り回されるからです。
旧約時代、1サムエル2:18「サムエルはまだ幼く、亜麻布のエポデを身にまとい、主の前に仕えていた。」・・主のことばを聞いていた。それゆえ真実な預言者となった。
反対に同じ場所で育った、祭司エリの子どもホフニとピネハスは神へのささげ物を捕り、食べ、天幕の入口で仕えている女たちと寝ていた。2:22
それゆえ、この二人は父と共に、戦いで死んでしまう。なぜ、このようなことになったのか、「自分の息子たちが、みずからのろいをまねくようなことをしているのを知りながら、
彼らを戒めなかったからだ。」1サムエル3:13
子どもへの教育
- 親の後姿では育たない。
- 聖書教育が大切である。一番は教会で一緒に礼拝をする。
- 年代に応じた訓育が大切である。愛と知恵をもって両親の協力のもとで、
家庭で親が聖書を読み、子どもの霊的成長、健康、進路、学校での生活のために祈って、朝、送り出す。たとえ、結婚しても親として、聖書によって励ます。
ウッド師
- 善悪のけじめをつける
- ルールを守らせる
- 自立性を養う。自分の行為への責任
- 自制心を養う。節制された愛情。
「子育ての点検・・親の愛情が十分に子どもに伝わっているか、過保護になったりしていないか。絶対的権力を持って子どもにおとな本位のあり方を要求したりしていないか。子どもに対する態度に一貫性があるか。祈りながら考え、示されたことを悔い改めましょう。具体的に実行しましょう。
参考・引用文献
米本和広 『カルトの子』 (文芸春秋 2000年)
クリスチャン新聞編 『ドキュメント異端』 (いのちのことば社 1985年)
ウィリアム・ウッド 『エホバの証人への伝道ハンドブック』
(いのちのことば社 1990年)
ウィリアム・ウッド 『エホバの証人の教えと聖書の教え』
(いのちのことば社 1990年)
ウィリアム・ウッド 『エホバの証人への伝道とフォローアップ』
(いのちのことば社 1995年)
日本イエス・キリスト教団カルト対策検討委員会 編
『異端・カルト ハンドブック』(ベラカ出版 2010年)
ジェイ・E・アダムス 『クリスチャンの家庭生活』(いのちのことば社 1976