聖書が語る「救い」とは何でしょうか。
「罪の中に死んでいた者」が新しく生まれる。
それは二つあります。1.洗礼を受ける前の救い(所有性)と2.洗礼後の霊的成長(進展性。)です。
- 1.所有性はヨハネ1:12「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」「信じた」は一回限りの最初の信仰行為で、信じ続ける行為を意味していない。これはエペソ2:1「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり」神なく望みなく、むなしさだけが残る人生だった。罪の中に死んでいるため、自分の欲が中心で、「不従順の子らの中に今も働いている霊(サタン)に従って歩んでいました」2:2という束縛状態、「悪い考え、みだらな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、あざむき、好色、ねたみ、ののしり、高慢、おろかさ」マルコ7:21-22に束縛され脱出できない状態を言います。しかし、キリストが私のこの罪のために身代わりとなって神のさばきを受けるために血を流し尽くして下さり死に三日目に復活してくださったと罪を悔い改め、イエスキリストをただ一度信じ心に迎え入れるなら、①神と和解し(Ⅱコリント5:18)、②交わりが与えられ(永遠の命と言います。ヨハネ3:16)③罪ゆるされ義と認められる。(ローマ5:1)④すべての悪からきよめられ(1ヨハネ1:9)⑤神の子どもである確信を聖霊によって与えられている(ローマ8:16)これら全部、神から与えられた無償の賜物です。なんと素晴らしい恵みが与えられ,所有している事でしょうか。御言葉を確認し感謝しましょう。
- 2.
聖書が語る救い②「聖化」
もう一つの「救い」は洗礼後の霊的成長(進展性)です。これを一言で聖化と言い、
「キリスト者は恵みによって成長する」<聖書教理がわかる94章、キリスト教神学入門P211,J・Iパッカー著>ことです。
「聖化は、神に対して自分自身を継続的にささげて行く時に起こる持続的な変容であり、交わりにおける聖さという枠組みの中での義を生み出していくものである。」のです。すなわち、神と兄弟姉妹との交わりに自分自身を置き続ける時、姦淫と不信仰の時代、考え方から守られ、霊的に成長していくのです。十字架から流れ出て来る永遠の恵み、キリストの血による罪からの解放の恵み、主の復活への信仰により罪に死んだ自分のよみがえりの確認が神との交わりによって与えられるのです。救われた者には聖霊が与えられ、神により頼み続ける時に道が示され聖さへと導かれるのです。
「聖化のために神が用いる方法は活動中心(自分の力に頼った行動)でもなく、無関心なもの(神を当てにした受け身な態度)でもなく、神に拠り頼んだ努力」<前掲書p213>なのです。
「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。」ローマ12:1-2