佐賀バイブルチャーチの入江喜久雄牧師のブログ

佐賀市鍋島へ引っ越しブログを再び始めました。よろしくお願いします。

あなたには価値がある。「あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています」ルカ12:7a

研修会への途上、夫婦で美しい琵琶湖を見ました。


5羽の雀が、2アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の1羽でも、神の目の前では忘れられてはいません。」ルカ12:6。

当時は、2羽で1アサリオン、4羽で2アサリオンでした。ですから5羽なら3アサリオンのはずです。しかし、5羽で2アサリオンということは。1羽はおまけということで、1羽の雀は価値の少ないものでした。この価値のないような雀一羽でさえもイエス・キリストには忘れられてはいないのです。さらに神様は弟子たちの髪の毛の数を数えるほど私たちを知っておられるのです。

これは「多くの雀」と「あなたがたの髪の毛」と比べて何を語っているのでしょうか。それは「神の配慮(心配り)の偉大さ」を語っています。

スズメとあなた、私の頭の毛についての観察は、神の摂理(この御業とは、神が、最もきよく、賢く、力強く、すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治めておられることです。ウエストミンスター小教理問11の答え)が人生の細部にまで及んでいることを示しています。「もし小さなスズメに対する神の摂理が真実なら、より価値がある弟子たちへの神の摂理はどれほど真実なのでしょうか。」

つまり、イエス・キリストが、おまけであるスズメ1羽にさえ気を配るなら、弟子たちの「髪の毛さえも」気を配るというのは、一人一人に対する主の配慮の真実がどれほど

偉大かを示しています。しかも、「数えられています。」と書かれています。

「数えられています。」はどのような意味でしょうか。それは髪の毛一本一本が私たちの頭にあるように、私たちのどんな小さな働きも主が一つ一つ数えて覚えておられるということなのです。たとえば、相手を思いながら益になる言葉をさがしてメールの文字にして送信したり、心砕いて電話のことばを語ったりする小さな働きを、人が知らなくても主は知り数えておられるのです。イエス・キリストはそれほど弟子たち、私たちを知っておられるのです。人知れず心を用いて行う主の奉仕を、働きを主は数えておられるのです。

おまけの雀1羽でさえ「神の御前で忘れられていない。」ルカ12:6

さらに、あなたがたに対して神は髪の毛さえもすべて数えられるほど、生活の小さなところまであなたに心を配っておられます。だからあなたには価値があるのです。弟子たちは恐れることはありません。パリサイ人たち、反対者たちから弟子たちをイエス・キリストは助けて下さるのです。

そして、小さな働き、告白「だれでも人々の前でわたしを認めるなら、人の子もまた、神のみ使いたちの前でその人を認めます。」ルカ12:8という恵みが続くのです。