佐賀バイブルチャーチの入江喜久雄牧師のブログ

佐賀市鍋島へ引っ越しブログを再び始めました。よろしくお願いします。

「信じることは良い事だ」より「誰を信仰するのか」が重要です。

2023年GWに、この大切なテーマを考えましょう。そのために神の言葉、真理である聖書から答えを見出しましょう。

  • 1.「平安があなたがたにあるように」

これは復活のキリストがいるという「一切の恐れを取り除き、内なる安定」を意味していました。どのような環境でも与えられる喜びは死から復活したキリストです。環境、複雑な人間関係に生きていても、揺るがない平安、それが、このみ言葉でした。主は驚く弟子たちに証拠として「手と脇腹を彼らに示された」のでした。十字架で釘付けされた両手には生々しい傷跡がくっきり見えました。脇腹は槍で刺された時、水と血が流れだした。19:34 その傷口は生々しいものでした。

2.  トマスの呼びさまされた信仰


12 弟子の一人、双子であったトマスはその場にいなかった。ヨハネ20:25 ほかの弟子たちは主を見 たと言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、 その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言いました。トマスは懐疑的で心 は固くなりなり、10 人の弟子たちから離れ、明確に信仰を否定するほどでしたが、同時にここで彼は信仰の不安を抱えていました。結局のところ、キリストの「手の釘の跡、 脇腹の跡」を見なければ主の復活を信じない。」言い換えればこの点が解決されれば、トマ スの信仰は本物になるのでした。さて、このトマスの言葉を主は聞いていました。20:26「8 日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられてい たが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち『平安があなた方にあるように』」と言わ れた。10 人は喜びに包まれた。もう一人のトマスの目の前に主イエスキリストは現れ最も 重要なみ言葉をお語りになりました。それはトマスの信仰を揺り動かして堅固な信仰にす るためでした。「トマスは単に信ずるのに遅く、気難しかったばかりでなく、また頑なであ った」フランス宗教改革者ジャヤン・カルバン。その解決は何でしょうか。27 節の御言葉 だけです。十字架と復活です。彼の信仰を滅ぼさないために、強い継続命令形で「あなたの指を ここに当て続けなさい」と言われました。「わたしの手を見なさい」は無理に一度確かに見て は直ちに従うべき命令形です。「あなたの指をここに伸ばし続けて、直ちに脇腹に入れなさい」と続けて 命令形を主は出された。このみことばだけが信仰を奮い立たせる唯一の道だった。主は必死だった。「 信じない者ではなく信じる者になりなさい」ここには証拠があっての信仰があります。証拠 もない信仰は信仰ではありません。「信じることは良いことだ」と人は言いますが、何を信 じるかがない。しかしここでは明確な 20:27 です。それは何を意味しているのでしょうか。 トマスと私たちの罪のために主は両手を刺し通され、釘打たれ、十字架上で脇腹は兵士の槍 で刺された。しかし主は死者から復活された。
トマスは目の前で語るイエス、傷跡を見せてくださったイエス様に対して「私の主、私の 神」と告白した。「私の」は主を個人的に信仰する信仰の言葉です。私の主は天と地の主権 者です。マタイ 28:18「エスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天にお いても地においても、すべての権威が与えられています』」 不信仰な心を罪から救い出す 唯一のお方イエスキリスト。「私の神」はトマスの 1 週間前の言動を知って答えてくださっ たイエスキリストこそ神であるとの信仰告白です。現在も未来も、時空を超えて、いかなる 状態からでも救い出す神、全地全能の神と告白し主イエスに答えたのでした。同様にあなた、わたしは主イエスにどのような信仰告白で答えますか。

3.「見ないで信じる人たちは幸いですヨハネ 20:29b

 

その後、主イエスはトマスとの会話を終わらせなかった。主イエスは彼に言われた。
あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」イ エスキリストを「私の主、私の神」と信じるとは信頼です。「やればできる」と言う自 己中心、人間中心には限界があります。そこには根拠がないからです。生ける復活の主 なる神という根拠を信じるのです。そこに人生の本当の道が開かれていくのです。
   単なる知的同意ではありません。
悪魔も神を信じています。ヤコブ 2:19「あなたは、神は唯一だと信じています。
   主の復活の事実、証拠と関係づけることが信仰です。
それが本当の信仰です。自己中心の罪を神様の御前で悔い改めて、一人ひとりの罪を 身に引き受けて十字架でただ一度死なれ、三日後に死に勝利したキリストのみを信じ、 主を心に受け入れるのです。
たとえばフランス料理を見ただけでは自分の糧となりません。食べて初めて美味し いと言い肉体の糧とします。同様に、「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対 する信仰使徒 20:21。罪を告白して自分の心に主を受け入れることによって救われ るのです。ローマ 10:10。フランス宗教改革者のジャン・カルバンは「ローマ・カト リック教会は、キリストの神性、三位一体の神、贖罪を教えてくれたが、どのようにし てその贖罪を自分のものとするかを教えてくれなかった」と言っています。 キリスト のみを信頼するのです。神と共なるいのちのために、ただ復活のキリストだけに信頼し ます。自分の生活の中にキリストを受け入れることによってキリストにおいて自分の 魂の糧と力を見出すのです。復活のキリストへの信仰に根差していた第 25 代アメリカ合衆国大統領、クリスチャンであったウイリアム・マッキンレーが 暗殺された時、彼に安らぎを与えたのは息を引き取ろうとしている大統領が小声で「主よ。いよいよ近づかん。」賛美歌 320「 上る道は十字架の」だった。「これが私のたえざる祈りであった」と大統領に仕えた医者マン博士は伝えた。死を恐れず勝利した主イエスキリストと出会う歌だった。