佐賀バイブルチャーチの入江喜久雄牧師のブログ

佐賀市鍋島へ引っ越しブログを再び始めました。よろしくお願いします。

 

車で通った時に、鹿と猿が仲よくのんびりして光景に出会いました。

神のVISION    ゼカリヤ2章

 

 青年ゼカリヤはBC520年、ダリヨス王即位2年に預言者として召命を受けました。当時、神の民はハガイと共に神殿再建を進めていましたが、信仰は初期のように熱心ではありませんでした。ゼカリヤを通して主が神の民イスラエルに「わたしに帰れ」というほどでした。彼らは心が神様から離れ、かつての先祖のようでした。

またイスラエルは4つの角に象徴された諸外国との緊張関係と堕落した信仰状態でした。そのイスラエルに、ゼカリヤに主は2章で神のVISIONを語ったのでした。エルサレムは城壁のない街となるほど、神の民と家畜が満ちると言うのです。無防備な町には神が「火の城壁」となると言われました。このみ言葉にゼカリヤは歓喜に満ち、遠くバビロンにいる残りの民に神のメッセージを送るのです。

その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたがたのただ中に住む。あなたは万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう」2:11 

万軍の主はゼカリヤをイスラエルに遣わされ、そこでこのVISIONを語りました。

それは終わりの日、多くの異邦人とイスラエルの民のただ中に主ご自身が住まわれる事でした。当時、信仰が弱り、4つの大国におびえていた神の民に勇気を与えるメッセージでした。私たちも同じではないでしょうか。この神のVISIONに立ちましょう。やがて多くの国々の人々が主につき、神の都エルサレムは多くの人々が住み、その中央に主が住まわれるのです。私たち信仰者はこの日に近づいているのです。

聖書の読み方によって人生が変わる。

2人で行ったある夏の思い出

お元気ですか?皆様。主の豊かな愛があなたにありますように。

さて、2月から壮年男性と聖書の学びを始めました。このために質問用紙を私が作成して進めました。すると大きな恵みがありました。その質問を掲載しましたので、あなたも行ってみませんか。

マルコ福音書の学び   1章1節から18節への質問に答えてみませんか?

以下の質問にお答え下さるとあなたの聖書理解が深まります。

また、特に問6-8は少し難しいです。答えられた方は回答をsagabiblechurch@gmail.comに書いて下されば、こちらからお返事させていただきます。また質問の終わりに「聖書の内容をよく理解するために」「聖書の読み方」を記しています。読んで下されば大変うれしいです。

問1・・この福音書のテーマは何ですか? 1:1

問2.バプテスマのヨハネの洗礼とキリストの洗礼はどのような洗礼でしょうか。4―8節

問3.では、その意味はそれぞれ何でしょうか?そこにキリストの仕事は何かが記されています。

問4.キリストが洗礼を受けた時のみ、どのような声がありましたか?11節

問5.キリストの説教内容はなにでしたか?14-15節。

問6.神の国とは何でしょうか15節。

 

問7.「わたしについて来なさい。人間を捕る漁師にしてあげよう。」はどのような意味でしょうか。17節

 

問8.なぜ、弟子たちは主の御言葉にしたがったのでしょうか。18節。

 

 

1.「聖書の内容をよく理解するために」

新改訳聖書が2017年宗教改革500年(1517年ドイツのルターの宗教改革)を記念して

「47年ぶりに全面・大改訂されました。」その翻訳編集委員長であった津村俊夫師は同時に発売された「聖書地図」の裏面で次のように述べました。

「私たちは聖書が記している出来事を時間と空間、すなわち、いつ、どこで起こったことなのかを大切にして読みたいと思います。旧約聖書古代オリエント新約聖書はローマ時代の地中海世界をその背景として書かれています。聖書を正しく読むためには、それが最初に向けられた読者の置かれた立場に自分を置いてみることが重要です。そのことがいかに難しいことであったとしても、聖書が伝えようとしている内容をよく理解するためには、その努力を怠ってはならないのです。聖書の著者の伝えたかったことが何であったのか、まず、著者と読者の当時の世界に入って行こうとする努力が、今ほど求められている時代はないのではないかと思います。」

2.聖書の読み方

「実に聖書を通して、今、イエスキリストはご自身の神としての権威を行使し、神の真理を知らせ、命令を下し、従う基準をしめしています」新聖書辞典p453 このように聖書は私たち、教会の唯一絶対の基準です。御言葉に従う信仰をこれからも続けなければなりません。これこそが教会成長、私たちの成長の道です。

そして聖書を読む姿勢は、自分が聖書に読まれるという体験です。

説教の時、それとも個人またグループで聖書を読む時、御言葉に矯正され、教えられ、悔い改めされる恵みです。その時、その人の霊は砕かれ、主によって新しい道を発見し、主との深い交わりへとさらに進んで行きます。聖書の上にではなく、聖書の下にこそ自分を置き、御言葉に聞き従う信仰が大切です。その際、「自分に何を語っているか」と問う事よりも第一に「神はどのようなお方なのか」を問うことです。どうしてでしょうか。聖書の主人公は神ご自身であり私たちは主に従う者だからです。また、みことばに留まる人には聖霊が継続的に魂に働き、魂の汚れから解放し、キリストの似姿に変え、主のみこころを行う人となります。

「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です」詩篇119:105

 




早朝、雪の背振山脈を佐賀市鍋島2丁目から見ました。

聖書が語る「救い」とは何でしょうか。         

       「罪の中に死んでいた者」が新しく生まれる。 

 それは二つあります。1.洗礼を受ける前の救い(所有性)と2.洗礼後の霊的成長(進展性。)です。

  • 1.所有性はヨハネ1:12「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」「信じた」は一回限りの最初の信仰行為で、信じ続ける行為を意味していない。これはエペソ2:1「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり」神なく望みなく、むなしさだけが残る人生だった。罪の中に死んでいるため、自分の欲が中心で、「不従順の子らの中に今も働いている霊(サタン)に従って歩んでいました」2:2という束縛状態、「悪い考え、みだらな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、あざむき、好色、ねたみ、ののしり、高慢、おろかさ」マルコ7:21-22に束縛され脱出できない状態を言います。しかし、キリストが私のこの罪のために身代わりとなって神のさばきを受けるために血を流し尽くして下さり死に三日目に復活してくださったと罪を悔い改め、イエスキリストをただ一度信じ心に迎え入れるなら、①神と和解し(Ⅱコリント5:18)、②交わりが与えられ(永遠の命と言います。ヨハネ3:16)③罪ゆるされ義と認められる。(ローマ5:1)④すべての悪からきよめられ(1ヨハネ1:9)⑤神の子どもである確信を聖霊によって与えられている(ローマ8:16)これら全部、神から与えられた無償の賜物です。なんと素晴らしい恵みが与えられ,所有している事でしょうか。御言葉を確認し感謝しましょう。
  • 2.

    聖書が語る救い②「聖化」   

    もう一つの「救い」は洗礼後の霊的成長(進展性)です。これを一言で聖化と言い、

    キリスト者は恵みによって成長する」<聖書教理がわかる94章、キリスト教神学入門P211,J・Iパッカー著>ことです。

    「聖化は、神に対して自分自身を継続的にささげて行く時に起こる持続的な変容であり、交わりにおける聖さという枠組みの中での義を生み出していくものである。」のです。すなわち、神と兄弟姉妹との交わりに自分自身を置き続ける時、姦淫と不信仰の時代、考え方から守られ、霊的に成長していくのです。十字架から流れ出て来る永遠の恵み、キリストの血による罪からの解放の恵み、主の復活への信仰により罪に死んだ自分のよみがえりの確認が神との交わりによって与えられるのです。救われた者には聖霊が与えられ、神により頼み続ける時に道が示され聖さへと導かれるのです。

    「聖化のために神が用いる方法は活動中心(自分の力に頼った行動)でもなく、無関心なもの(神を当てにした受け身な態度)でもなく、神に拠り頼んだ努力」<前掲書p213>なのです。

     「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。」ローマ12:1-2

いちょう並木の佐賀市鍋島

佐賀市鍋島2丁目のいちょうが色づいています。秋ですね。

秋ただ中です。写真はいちょう並木の鍋島2丁目からです。さて、福岡から佐賀へ3月末一緒に引っ越ししてきた91歳の義母が「外の空気がいい」と自宅前に腰かけていました。私が「散歩する?」と聞くと「いいよ」の義母の返事、イチョウ並木を二人で話ながらのデート、20分ぐらい歩きました。二人の歩く速度が違うので、ゆっくり、しかも私に傾きながら歩く義母に合わせて歩きました。その後、「救い主イエスと」の教会福音讃美歌409番の歌詞を思い出しました。「救い主イエスと ともにゆく身は 乏しきことなく おそれもあらじ イエスは安きもて 心たらわせ(イエスは安らかなものをもって 心を満たし)ものごとすべてを よきになしたもう ものごとすべてをよきになしたもう」
また、
聖書の詩篇23篇4節「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから」を思い出しました。義母と一緒に歩きながら、イエスキリストがどんな困難な時も、文字通り死の時も、とともに歩いてくださる恵みを覚えて主に感謝しました。現代の病である「孤独」「ぼっち」「死の恐怖」の解決がここだけにあるのを知るのは幸いです。

聖書とは何でしょうか?

聖書はどのような書物でしょうか?この質問に対して人間が答えることは出来ません。聖書は「決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです」Ⅱぺテロ2:21.つまり聖書は神様がお語りなつたものだから、人間の説明はいらないのです。

では聖書は聖書を何と語っているのでしょうか?

「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。」Ⅱテモテ3:15bから17.

つまり聖書はイエスキリストに対する信仰による救いと十分に整えられた神の人になるために神様がお語りになった書物なのです。なので「神様、私にお語り下さい。」という信仰の祈りによって読むべきなのです。聖書を信仰持って読む時、神様のみことばが心に響いてきます。佐賀2

求道者と第3回目の学びが本日14時からありました。ゆっくりぺースなので、3回目なのに2回目の確認クイズをしました。そのクイズ「Q3.聖書を読むときにどんなことがわかりますか?A3. イエスキリストの救いに導く。神と人とに役立つ者に育てる。」ことが分かります。さて、私も色々教えられ感謝しました。「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練にために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。」Ⅱテモテ3章15節後半から17節。皆様のお祈りありがとうございました。次回は7月25日です。また、さらに学ぶ方が今年9名起こされるようにY求道者と共にお祈り下さい。