佐賀バイブルチャーチの入江喜久雄牧師のブログ

佐賀市鍋島へ引っ越しブログを再び始めました。よろしくお願いします。

早朝、雪の背振山脈を佐賀市鍋島2丁目から見ました。

聖書が語る「救い」とは何でしょうか。         

       「罪の中に死んでいた者」が新しく生まれる。 

 それは二つあります。1.洗礼を受ける前の救い(所有性)と2.洗礼後の霊的成長(進展性。)です。

  • 1.所有性はヨハネ1:12「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」「信じた」は一回限りの最初の信仰行為で、信じ続ける行為を意味していない。これはエペソ2:1「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり」神なく望みなく、むなしさだけが残る人生だった。罪の中に死んでいるため、自分の欲が中心で、「不従順の子らの中に今も働いている霊(サタン)に従って歩んでいました」2:2という束縛状態、「悪い考え、みだらな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、あざむき、好色、ねたみ、ののしり、高慢、おろかさ」マルコ7:21-22に束縛され脱出できない状態を言います。しかし、キリストが私のこの罪のために身代わりとなって神のさばきを受けるために血を流し尽くして下さり死に三日目に復活してくださったと罪を悔い改め、イエスキリストをただ一度信じ心に迎え入れるなら、①神と和解し(Ⅱコリント5:18)、②交わりが与えられ(永遠の命と言います。ヨハネ3:16)③罪ゆるされ義と認められる。(ローマ5:1)④すべての悪からきよめられ(1ヨハネ1:9)⑤神の子どもである確信を聖霊によって与えられている(ローマ8:16)これら全部、神から与えられた無償の賜物です。なんと素晴らしい恵みが与えられ,所有している事でしょうか。御言葉を確認し感謝しましょう。
  • 2.

    聖書が語る救い②「聖化」   

    もう一つの「救い」は洗礼後の霊的成長(進展性)です。これを一言で聖化と言い、

    キリスト者は恵みによって成長する」<聖書教理がわかる94章、キリスト教神学入門P211,J・Iパッカー著>ことです。

    「聖化は、神に対して自分自身を継続的にささげて行く時に起こる持続的な変容であり、交わりにおける聖さという枠組みの中での義を生み出していくものである。」のです。すなわち、神と兄弟姉妹との交わりに自分自身を置き続ける時、姦淫と不信仰の時代、考え方から守られ、霊的に成長していくのです。十字架から流れ出て来る永遠の恵み、キリストの血による罪からの解放の恵み、主の復活への信仰により罪に死んだ自分のよみがえりの確認が神との交わりによって与えられるのです。救われた者には聖霊が与えられ、神により頼み続ける時に道が示され聖さへと導かれるのです。

    「聖化のために神が用いる方法は活動中心(自分の力に頼った行動)でもなく、無関心なもの(神を当てにした受け身な態度)でもなく、神に拠り頼んだ努力」<前掲書p213>なのです。

     「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。」ローマ12:1-2

いちょう並木の佐賀市鍋島

佐賀市鍋島2丁目のいちょうが色づいています。秋ですね。

秋ただ中です。写真はいちょう並木の鍋島2丁目からです。さて、福岡から佐賀へ3月末一緒に引っ越ししてきた91歳の義母が「外の空気がいい」と自宅前に腰かけていました。私が「散歩する?」と聞くと「いいよ」の義母の返事、イチョウ並木を二人で話ながらのデート、20分ぐらい歩きました。二人の歩く速度が違うので、ゆっくり、しかも私に傾きながら歩く義母に合わせて歩きました。その後、「救い主イエスと」の教会福音讃美歌409番の歌詞を思い出しました。「救い主イエスと ともにゆく身は 乏しきことなく おそれもあらじ イエスは安きもて 心たらわせ(イエスは安らかなものをもって 心を満たし)ものごとすべてを よきになしたもう ものごとすべてをよきになしたもう」
また、
聖書の詩篇23篇4節「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから」を思い出しました。義母と一緒に歩きながら、イエスキリストがどんな困難な時も、文字通り死の時も、とともに歩いてくださる恵みを覚えて主に感謝しました。現代の病である「孤独」「ぼっち」「死の恐怖」の解決がここだけにあるのを知るのは幸いです。

聖書とは何でしょうか?

聖書はどのような書物でしょうか?この質問に対して人間が答えることは出来ません。聖書は「決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです」Ⅱぺテロ2:21.つまり聖書は神様がお語りなつたものだから、人間の説明はいらないのです。

では聖書は聖書を何と語っているのでしょうか?

「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。」Ⅱテモテ3:15bから17.

つまり聖書はイエスキリストに対する信仰による救いと十分に整えられた神の人になるために神様がお語りになった書物なのです。なので「神様、私にお語り下さい。」という信仰の祈りによって読むべきなのです。聖書を信仰持って読む時、神様のみことばが心に響いてきます。佐賀2

求道者と第3回目の学びが本日14時からありました。ゆっくりぺースなので、3回目なのに2回目の確認クイズをしました。そのクイズ「Q3.聖書を読むときにどんなことがわかりますか?A3. イエスキリストの救いに導く。神と人とに役立つ者に育てる。」ことが分かります。さて、私も色々教えられ感謝しました。「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練にために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。」Ⅱテモテ3章15節後半から17節。皆様のお祈りありがとうございました。次回は7月25日です。また、さらに学ぶ方が今年9名起こされるようにY求道者と共にお祈り下さい。

佐賀に来て早いもので3か月になろうとしています。のんびりした佐賀は素敵です。自然がいっぱい、背振山脈、多布施川の美しさ、色づいた小麦とその収穫、その後の田植えなどは心を和ませます。27年間の福岡も良かったが、佐賀も素晴らしい。親切な人々に出会って感謝です。さて、教会の地図が出来ました。貼り付けます。

教会のチラシを作成する時、クリスチャンの会社にお願いしました。素晴らしい出来上がりです。

 

王なる働き

キリストの3職と箴言31:1-9を学びましょう。

「あがない主の三重(さんじゅう)のみわざ 問23 キリストは、私たちのあがない主として、どういう職務を果たされますか。」

答え キリストは 私たちのあがない主として、預言者、祭司、王の職務を、へりくだりと高挙とのどちらの状態においても果たされます。

1.預言者キリスト。 神から人に向かう働き、つまり神のメッセージを人間に伝える預言者の働きです。使徒3:21-22、ヘブル12:25、Ⅱコリント13:3

2.祭司キリスト。人から神に向かう働き、つまり人間を神に近づける祭司の働きです。ヘブル5:5-7、7:25.

3.王キリスト。救いにまつわる数々の祝福を人間にもたらす上でのキリストの力強い王としての働きです。

エスは、在世中にこれらの働きをなし、しかも今なお、私たちを絶えず見守っておられる天上で、私たちのためにその働きをしておられます。」

ウェストミンスター小教理Q&A107。ポール・セトル著。宇田進編訳>p38

「ひとりのみどり子が私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなくダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで、万軍の主が熱心にこれを成し遂げる」イザヤ9:6-7.詩篇2:6、2:8-11.マタイ21:5.

さらにウエストミンスター小教理問答 

問26 「キリストはどのようにして王職を果たされますか。

答え キリストが王職を果たされるのは、私たちをご自身に従わせ、治め、守って下さること、またご自身と私たちのあらゆる敵を抑えて征服してくださることにおいてです。

説明:イエスは王です。彼は私たちの心の中の反逆を制圧し、私たちをご自身の民とされます。彼は私たちの支配者であって、私たちが彼の律法に従い、忠実な民となることを期待しておられます。彼は私たちと罪とサタンから守って下さいます。」前掲書p41

このようにキリストが王職を行っておられます。また同時に教会の一人一人も

預言者、祭司、王と語っています。

「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」1ペテロ2:9.

 特に王である祭司であるために私たち教会は王として先の箴言31:8-9を実行しなければなりません。ここには以下の内容を記します。

1.消極的勧め。

第一に・あなたの力を、女たちに費やしてはいけない。異性関係・純潔

第二に・王を滅ぼす者たちと歩調を合わせるな。王権を横取りし、悪い政治を国に行うからです。

第三に、ぶどう酒(弱い酒)、強い酒いずれも王が定められた法を忘れ健全な判断、さばきを行わない。「苦しむ者みなへのさばき」と限定しています。

2.積極的勧め。

第一に主イエスキリストの模範から弟子を選び、病める人をいやし福音を宣教する。マルコ1:30-38

第二に弱い者、貧しい者へ積極的に正しいさばきを行う。

箴言31:8.王様はだれに目を向けるべきでしょうか。「口のきけない人のために」文字通り口のきけない人であり、心に正しい思い言葉をもっているが、勇気を出して言えない。言論の自由が制限された人々と「すべての不幸(恵まれない人)な人の訴えのために」「苦しむ人」「貧しい人」に対してで、王様に酒を運んでくる人、王様を誘惑する女性、王様の座を奪おうと陰謀を企てる者たちに対してではない。では弱者に何をするのでしょうか。

「口を開いてさばき、さばきを行いなさい。」です。教会内外で私たちは31:9「口を開いて、正しくさばき、苦しむ人や貧しい人のためにさばきを行いなさい」と主は語っていますので主の助けを祈り求めながら行いましょう。